頑張ったら胸張って良いんだよ-yurutatsukoのゆる人生-

アラサ―独身女の初ブログ。好きなもの好きなだけ書いています。あわよくば皆様に元気を提供出来たら良いです。

母が苦手な全ての人へ~私の母について書きます~その②

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わ~~!!!お久しぶりです皆様~~~!!!

 

って、誰も読んでないか(笑)

 

いやしかし、大分時間を空けてしまいました。申し訳ございませぬ。

ぼっち趣味(という名の怠惰)が捗ってしまい、やっと重い腰をあげる事が出来ました!

一度サボるとダメですね。まあボチボチやっていこうと思います!

 

さて、母の日にちなんだ記事(何か月前だよw)のパート②です!

 

前回の続きである、母の波乱万丈な人生と、

「私と母の関係について」「私の母に対する考え方」について書いていこうと思います!

 

では、ご覧ください~~!

 

 

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無事母は不倫し離婚し出産し、新しい人生を手に入れたのですが、

 

お姑さんとウマが合わず、かつ新旦那さんがマザコン(姑もバリバリの息子好き人間)だったので、

 

ある日母は、必要最低限の荷物だけ渡され、家から追い出されてしまったのです。

 

 

しかも、息子(私から見た弟)とも引きはがされたのです。

 

 

勿論家には母の私物が沢山ありました。

母が大切にしていた、楽譜やバッグ等も。

(その中に私も好きな楽譜があったので、取られてしまったのは本当にショック。。。)

 

 

当時、弟はまだ1歳にもなっていなかったと思います。

まだまだ母親が必要な時期だったのにも関わらず、

 

姑は「息子タンとお孫チャンは私の物」「アンタなんか子供を産めば用ナシ」

 

という行動をしてきたのです。

 

そして、すぐ引っ越しをして、どこかに行ってしまい、

離婚届も半ば強引に提出されました。

勿論、子育て中だった母は無職だった為、

養育不可と判断され、子供(弟)の親権と養育は元旦那側にとられてしまいました。

 

面会交流という道もありましたが、

こんな姑と元旦那です。勿論掛け合ってくれませんでした(今も)。

母は悲しみましたが、

母の母(私からみた母方祖母)は面倒事を増やしたくないと良い、

母に泣き寝入りをさせたのです。

 

 

なんて、なんて、自分勝手な人達なんでしょう。

幾ら父親が異なっていても、私にとっては大切な弟です。

そして、いくらクセのある母であっても、

れっきとした人間で、女性で、母親なのです。

 

それなのに、こんな事をした人達を、私は一生許しません。

息子と嫁の事に首を突っ込んでくる姑と、私の母を粗末に扱った元旦那を、

私がわざわざ気にするのも、呪うのも、バカバカしいですが、

せいぜい、苦しんで生きています様心から願っています。

 

そして、私の弟がすくすくと元気に育っている事を、心から願っています。

 

 

その後母は、自分の実家に戻りましたが、

酒とたばこに入り浸り、祖母に暴言や間接的暴力を振るうようになっていました。

そして、時々子供(弟)を思い出しては、泣いていました。

 

そんな母を見るのが、本当にきつかったです。

しかし、母を慰められるのならと思い、姉と私は時々母と会っていました。

 

 

そんなこんなで、私は成人し、職にもありつけて、無事実家を出て生活出来る様になりました。

 

 

しかし、その後すぐに、母方祖母から「保険に入りなさい」と催促されました。

 

 

と言うのも、祖母は昔から保険営業セールスレディーで、

バブルの時は、そりゃぁもうガッポガッポ稼いでいたようです。

そして今回、母がこんな状態になってしまったもんだから、

「私が一生面倒みる!」と考え、保険営業の道へと連れ出したのです。

(ちなみに、母の精神科受診や生保の道も提案しましたが、祖母は全てしないと言い切ってました。)

 

 

そして、私は社会人になってすぐ、母の顧客となり、保険に入る事になったのです。

 

 

当時の私は祖母や母の影響もあり、保険について

「入っておいて損は無い」「大切な物だよね」「母の生活費になるなら」

と思い、加入していましたが、

 

徐々に件数も増え、合わせて4件程、総額月4万円程は保険につぎ込んでいたと思います(積立年金もありましたけど)。

 

 

いよいよ私も「こんなに保険に入って意味があるのだろうか?」「直接現金仕送りの方が良いのでは?」と複雑な気持ちになりましたが、

母に相談しても、「あなたの将来の為よ」と言うため、しぶしぶ続けていました。

 

しかも、こんな母ですから、まともにお客様を取る事が出来ず、

給料なんて、微々たるものしか貰えていなかったのです。

「母の為と思って払っていたのに、これでは何も意味が無い」とむなしくなりました。

 

そして、母と会うたびに「新しいプランに加入しないか」「新しい保険の説明を聞かないか」等言われ、

 

「母にとって私は只の客なんだ」と感じ、悲しくなりました。

 

 

しかも、母の説明がほんっとうに下手。分かりにくい。

なのにくどくど説明され、結局祖母からも圧を掛けられ、加入せざるを得なかったのです。

 

さらに、後々知ったのですが、

私の父と離婚した後、祖母は私の父方祖父の家へ行き、

「孫(私と姉)に保険を掛けないか?」と言い、保険を加入させていたのです!

 

流石にこれはあり得ない。人の弱みに付け込むのもいい加減にしろ。

腹が立ったので、祖父が入ってくれた保険は、私が支払うよう手続きしてもらいました。

 

私は母と子として、一緒にランチして楽しい話したり、お出かけしたり、ご飯奢りたいのに、

母はいつも保険の事ばかりでした。

「保険の話が出来る場所が良い」

「知り合いの店(保険で知り合った良い歳のオジサマ達ばかりがいるたばこの臭いが似合う飲み屋)で食べよう」

「あなたの歌が聞きたいからカラオケ行こう(母は煙草吸いまくるから喉めっちゃ痛くなる)。」等言われ、

 

いつも、母と私の「お互い一方通行状態」だった気がします。

 

 

そして、ついに稼げなくなってしまった母は、今度は違う保険会社に就職しました。

(元々祖母とは違う会社だったのですが、祖母が努めている会社に再就職したのです。)

 

そして、私はふと思いました。

 

「母の為に入ってた保険だけど、会社違ったら意味なくね?」

 

そして、それを母に言いました、すると、母は、

 

「辞めちゃいなよ。」

 

と、私に言ったのです。

 

 

「あなたの為に保険を勧めている」「将来のあなたの為」と言われ、

私も母と自分の為と思って入っていましたが、

まぁ、ものの見事に母に裏切られましたね。

 

「結局母にとって私は都合の良い金づるだったんだ」

 

と、何とも言えない、思わず笑ってしまう様な気持ちになりました。

 

あまりにバカバカしかったので、前の会社の保険は全てやめました。

そして、わずかに残っていた私の「母に対する感謝の気持ち」として、

新しい会社の保険に一つだけ、入りました。

 

勿論、その保険は私の身の丈にはあっていません。

探せばもっと安く入れる保険なんて、いくらでもあります。

もっと話が上手でわかり易い営業さんなんて、いくらでもいます。

ですが、母の為と思い、入りました。

 

 

しかし、母はなおも、私に保険を勧め続けてきました。

 

 

もう、私も疲れていました。

嫌いになりかけていました。

 

自分がどこに住んでいるか、怖くて言えませんでした。

 

 

でも、私の心の中のどこかで

母を見捨ててはいけない。親孝行をするんだ」という気持ちがあり、

 

母の誕生日が近づき、「会いたい」と話す母に対して

「保険の勧誘をしないなら会えるよ」と言い、

それを母は了承したので、会う事になりました。

 

 

私は母の誕生日プレゼント(1万円位の化粧品)を準備し、母に会いに行きました。

 

母と合流し、はじめは良いコミュニケーションが取れていました。

(といっても、母のマシンガントークに私が相槌を打つだけですが。)

 

しばらくして、母は「保険の説明の練習をさせてほしい」と言ってきました。

 

私は、それは良い事だ(本当に下手だから)と思い、承諾しました。

 

 

正直、怪しいとは思いましたよw

でも、母を信じたいですからね。

 

 

母に連れられ、保険会社の一室に案内されました。

「書類を持ってくるから待ってて」と言い、母は退室しました。

 

しばらくすると、

 

母と一緒に、男性社員が入ってきました。

 

 

そして、男性社員が流暢に、私に新保険プランを説明してきました。

 

まさかな。。。と思い、私はずっと話を聞いていました。

 

しかし、最後の最後まで、母は喋らず、男性社員の横に座ったままでした。

 

 

「あぁ、私はまた実の母からカモの対象とされているんだな。」

 

 

そう思い、決心しました。

 

 

「もう、慈悲もクソもねぇ。徹底的に言ってやる。」

 

 

男性社員に一言謝罪してから、私は今までの経緯と私の気持ちを全て母にぶちまけました。

 

しかし、母はすっとんきょうに

「え~入ってくれてもいいじゃん」「私の誕生日プレゼントだと思って」

と言ってきたのです。

 

プレゼント用意してるから、ってか毎月1万貢がせる親(いうて途中で育児辞退したやつ)が許されると思うな。

 

ほぼ失笑しながら話していましたが、

そのやり取りを聞いていた男性社員が

「えっ!?娘さんなんですか!?」

と言ってきたのです。

 

いやいやw娘だとも言ってねーのかよw

お前は本当にクズだなw

 

そんな心境でしたw

 

結局、その後は私の粘り勝ちと、男性社員さんが気を遣ってくださり、

保険加入する事無く終えました。

 

しかし、そこから私は母に対して「愛情」「同情」は消し去り、

1年以上連絡はとりませんでした。

全て無視しました。

 

その間、本当に気持ちが楽になりました。

 

どこか心の中で

「母に育てて貰った恩を仇で返せない」と思っていたんだと気付きました。

 

 

そして、「そんな責任感は必要ないんだ」と理解出来ました。

 

 

私は母に育てて貰った、

でも、

五体満足なのに、重労働は嫌だと言い、

努力を怠り、資格や練習もせず、

ただ、祖母の言いなりとしかならず、

稼げないからと言って、

金を巻き上げやすい弱者(私)にばかりたかるヤツを、

私が養う必要は無い。

 

 

私は私、母は母、血は繋がっていても、違う人間で、違う人生だ。

 

 

そう思い直せる事が出来ました。

 

 

そして1年経過し、ついに祖母から

「母が寂しがっているから、連絡返してあげて」と言われ、

しゃーねぇなぁと思い、ちょっとだけ連絡を返しました。

 

しかし、私が何故、連絡を取らなったのか、

今後同様の事はしないでほしい。

 

といった内容も併せて送りました。

 

そして母から帰ってきた言葉は、まったく別の内容でした(笑)

やっぱそうくるよね~(笑)

 

もう一回ごり押ししてやっと、

 

「そんな事した覚えはないよ?」

「そんな事はしないよ。」

 

でしたww

いやもう、流石っすw

 

 

まあでも、もういいやと諦めました。

長い時間をかけて、私は

 

「私の母は、ピュアで自分に正直なんだなぁ」

 

そう思う事で自分の気持ちを落としましたw

 

とりあえず今は物理的に離れているので、私が会いにいかない限り安全です(笑)

自分が辛くならない程度に、そして、後悔しない程度に、

ボチボチ親孝行しようと思いなおせました。

 

なので、母の日だったし、久々に何か送ろうと思い、

海産物セット(カニ1杯付)を送りました。

喜んでいたので良かったです。

 

 

なんだか、長くなってしまいすみません。

 

でも、この話で、

少しでも皆さんの母親との関係性に、

何かしら良い変化がある事を祈っています。

 

 

それでは皆さん、さようなら~!